第八回:GWOTとテロリズムの今後に関して
2001年同時多発テロより早13年。
あの頃は10歳だったのだと思うと、時の経過の早さには驚くばかりです。
今回はGlobal War on Terror (対テロ戦争)とテロリズムの今後にかんして若干の考察をしたいと思います。
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まずそもそもテロリズムとは何なのかという事自体にも論争があります。
一般的な定義では、例えば '`Terrorism is characterised by, first and foremost by, the use of violence'(テロリズムは暴力の行使によって最も特徴づけられる)、そしてその暴力には典型的な例として、市民を標的としたHijacking やBombing が含まれる(Kiras 2005: 480)。特に通常戦とは異なり、戦闘員と非戦闘員の棲み分け(threshold)を考慮しないと言う点にまず特徴がある。
しかしながら、忘れてはならないの事は、テロリズムはある集団の'政治的目標'を達成するための'手段'であるという事(テロリズムの政治性を考慮しなくてはならないという点に関しての具体例は後述します)。
ここで思い起こされるのはやはりクラウゼヴィッツのあまりにも著名な一節。
'War is the continuation of politics by other means' (戦争とは他の手段を以てする政治の延長である)
また、
'War is an act of violence intended to compel our opponent to fulfil our will'(戦争とは相手方に当方の意思を満たすようにしむけることを目的とした暴力行為である)
つまり噛み砕いて言うなれば、テロ=戦争と解釈できる。
このような行為を防ぐために現在もアメリカ主導で世界中で行われているのが、所謂Global War on Terrorです。
では、この対テロ戦争が現状どうなっているのか、今後どうなっていくかという事をDrone またはUAV(無人機)によるCounter-terrorism を例にとって若干考察してみたいと思います。
簡単に言えば、アメリカの対テロ戦争の1つの要として、無人機を用いたテロリストと思われる人間に対しての爆撃はトレンドになっています。
パキスタン、アフガニスタンやイエメン上空などで遠隔地からゲーム感覚で無人機を操作し、テロを撲滅するための戦争を行っているわけです。
最大の長所として、自国の兵士の命を失わずに敵方の人間を殺してしまえる点が挙げられるかと思います。
この「自国の兵士を失わずに」にという点がアメリカにとって特に好都合な理由は、アメリカ人が大好きな「自由」で「民主的」な価値観が損なわれずに戦争をおこなえるという点に求めることができるしょう。
核戦略で著名なColin S. GrayはAmerican Way in Warfare(アメリカ流の戦争方法)について以下のような特徴を挙げています。
'Technology dependant'/ 'Sensitive to casualties' (Gray 2006)
彼は総じて12の特徴を挙げていますが、無人機がアメリカ流の戦争に好まれる理由は上記の2点に密接に関わっています。無人機はまさに「技術依存」と「死傷者が出る事に過敏」なアメリカ流の戦争方法を象徴しています。
「死傷者が出ずに、テロリストを撲滅できるなら良いじゃないか」と主張する人がいるかも知れませんが、そうとも言い切れないのは無人機による爆撃が先述したテロの政治性と切り離せない問題になっているためです。
オバマ政権で度々問題になっているのは、無人機がしばしばテロリストではない一般市民を誤爆して殺してしまうこと。爆撃の正確性と道徳性に問題があるわけです。
この市民の殺傷がテロ集団が新しいメンバーをrecruitしinspireするための格好のプロパガンダとなり、かえってテロを助長し増加させると懸念されています。
このようにアメリカの無人機によるCounter-terrorism活動は多くの論争を巻き起こしているわけです。
では、無人機などによる直接的抑止以外にどのようにテロリズムを防ぐ事が出来るでしょうか。
他の手段として、しばしば和平戦略の有効性が指摘されています。
テロリストの政治的目標を明らかにし、その上でリスクと利益の計算をさせ、落としどころをつくる事でテロリストとの和平を計るというものです。つまり、テロリストにテロ活動を思いとどまらせる事を目標としてる。
この戦略はGame Theoryと関連しており、それでいうところのPositive Sum Gameと言えるでしょう。
ゲーム・セオリーと抑止についてはノーベル賞受賞者のThomas Schellingの著書を読むとタメになります。
そもそも相手の文化や思想に疎いアメリカの戦略が、敵側の政治的目標をしっかり把握する事が出来るのか。
また、ゲーム・セオリーは基本的に双方のRationality (合理性・理性)に依拠しています。しかしながら、戦争は完全に合理的に行えるものではありません。常に非合理性や計算不可能性がつきまといます。
Clausewitzsは戦争の'Marvelous Trinity'によって上記の点を指摘しています。
- The original violence of its elements, hatred and animosity, which can be looked upon as blind instinct (憎悪や敵意をともなう暴力行為)
- The play of probability and chance (確からしさや偶然性といった賭けの要素)
- Of the subordinate nature of a politics, by which it belongs purely to reason (政治のための手段としての従属的性質)
このように戦争は3つの要素が相互作用するものであり、どれか1つが欠けるということはありません。そのため、すべて合理的に判断しようとするゲーム・セオリーには限界がある。
以上の議論から、技術依存にも合理的選択理論にも欠点があるという事が理解されるかと考えます。
テロリズムにどう対処するかという事に非常に'つまらない'結論をつけるとすれば、
伝統的なCOINでいわれているように、「戦争およびその作戦を行う場所の文化的背景や思考体系を理解した上で、人々のheart and mindを勝ち取り、バランスの取れた戦略」を行うということになりそうです。
イラク時にペトレイアスが考案したField Manual 3-24やHuman Terrain Systemの導入などベトナム戦争の反省以降、進歩してきているようですが、アメリカはこの手の戦争を苦手としているのは事実だと言えるでしょう。
さて、そのような環境の中で日本はこれからどうなっていくのでしょうか。
集団的自衛権の限定的容認行使に際して、「アメリカの戦争に追従することで、日本がテロの標的になる」という意見が散見されました。
いやいやいや。既にアルカイダはイラク戦争で自衛隊が後方支援した時に「日本を標的にする」って言ってるではないですか。危険性が高まると言いたいのでしょうが、私はある程度懐疑的です。
繰り返しになりますが、テロは政治行為です。そして例えばアルカイダの政治的目標はイスラム圏にカリフ共同体を作り、そこからアメリカを追い出すといったもの。
それを目標としているアルカイダが日本でテロ行為をすることで獲得できる利益とは何でしょうか。アメリカは歴史上同盟国を簡単に見捨ててきています。本土攻撃をされたからこそ、イラクとアフガンに侵攻しました。
日本で小規模のテロを行ったからといってアメリカをイスラム圏から追い出すことに寄与するのでしょうか。つまり日本をテロ攻撃することによってテロ組織が得られる利益は特にないのです。
だからといってテロが日本で起こらないとは限りませんが、北朝鮮や中国の脅威に比べれば、どちらを優先した政策を行っていくべきか、明白ではないでしょうか。
ゼロリスクなんてことはあり得ないのです。
最後に、Steven PInker は暴力の総数や伝統的な戦争(高強度戦争)は今後減っていくと言っています。しかしながら、実際はテロを含む低強度紛争は増えていると言えるでしょう。
この後、世の中がどうなっていくのか絶対的予測などは出来ませんが、せめてこれからも戦争という事象に興味を持ち続け、考え続けていこうと思います。
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今日この日は理想主義的な平和を願ってみます。
また、同時多発テロで亡くなった全ての方々のご冥福をお祈りします。
第七回: 英国留学を終えて
実に二年ぶりに書いています。
なんとなくロンドンにいる間にこの1年4ヶ月で感じた事をまとめておこうと思いました。being emoって感じなのかも知れません。
<勉学について>
日本ではおそらく学ぶ事のできないWar Studies(戦争学)の修士課程に在籍し、
戦争戦略などを学びました。
普段日本で生活していると対岸の火事のように感じる戦争という政治的行為について、
現実的且つ客観的に見つめ直す事が出来たように思う。
特に軍事力の在り方については180度考え方が変わった。
端的に言うならば、日本は早急に似非平和主義からの脱却・9条の廃止・軍事力の強化(主にSea Power)を計るべきだと考えています。(*理由を聴きたい人は本人に直接お願いします)
日本人で戦争学をで学んだ人は少ないと思うので、この点を活かしこれからどのように世の中に貢献していくかが課題。
<価値観について>
留学前は発信型の人間だったように思いますが、今は受け入れ型になってきたと感じる。
「これはこうでなくてはいけない 」と思っていた事が「まあそういう考えもあるよね」と。
歳をとったためか、または留学のためか、攻撃性は減少したのかもしれません。
ただし、日本人に対しては「何故日本で育ってそんなことも出来ないのだ」(主にマナーなど)と苛つく事も増えたように思う。その点では日本に帰ると息が詰まる。
刺が無くなった部分が多いけれど、更にエッジが効いたところも出てきたのかもしれません。
留学前は世界市民になれると思っていましたが、何故か更に日本人としての自己を強く認識するようになったのも変化の1つかも。
<ロンドン生活について>
ご飯?美味しいわけがありません。
ただし、言うほど不味いわけでもありません。食べる事は可能です。
日本のように安くて美味しいという物はありませんが、お金を積めばそれなりです。
おかげで料理スキルが上がりました。
愉快な仲間達(先輩方ごめんなさい)のおかげで一時期酒浸りの日々を送っていましたが、修士コースが始まってからは勉強漬けでした。
ロンドンで暮らしていて良いなと思ったのは、人種の多様性が1つ。エールビールの美味しさが1つ。ドアをあけて待っていてくれるイギリス人の精神性、24時間バス、博物館タダ、アンティークマーケット、服、ロイヤルフィルなどなど。
嫌だったのは、ご飯が不味いのとご飯が不味いのとストライキの多さと、サービスの悪さと飯のまずさと公衆トイレの少なさ。
治安は深夜にべろべろに酔っぱらって1人で帰っても大丈夫なくらいには安全だと言えます。
ロンドン日本人会やらなにやらで色んな濃い方々と知り合えたのは人生の宝になりそうです。
皆様の支えもあり、特に寂しさを感じる事もなくロンドン生活は非常に楽しめました。
<就職活動について>
希望通り外資系コンサルティングファームに決まりました。
4月から死に物狂いで働かせて頂きます。
戦争戦略とビジネス戦略の相関性について実践が出来れば何よりです。
<恋愛について>
可もなく不可もなく。どちらかというとプラスと考えておく(例の件では皆様にご迷惑をおかけしました)。
中国人にストーカーされるとかゲイに路上でナンパされるとか面白い経験が出来ました。
早く落ち着きたいものです。
<将来について>
32歳までのプランは考えています。
当面は28歳でのHarvard Business SchoolへのMBA留学が目標です。
働く場所・生活する場所についてはもう日本に限定する必要もないので、柔軟にやっていきたい。
戦争を学んで、企業経営を学んだら、次には更に面白い事に挑戦するつもりです。
<最後に>
イギリス大学院留学というcostlyな事に挑戦させてくれた家族にまず感謝したいと思います。
並びに、ロンドンでの生活をより彩りのあるものにして下さった、いつもの3人組、戦争学部日本軍、ジョジョラーのあなた、Pre-sessionalコースの先輩・友人の方々、ロンドン日本人会でお会いした方々、異国の友人達、本当に感謝しています。日本に帰国してもお会い出来れば幸いです。
また、遠い日本から支えてくれた先輩・友人・後輩の方々、いつもご迷惑をおかけします。物理的な距離こそ遠くとも、精神的支えでした。これからも面倒を見て下さい笑
第二回
20・21日は地元のお祭りでした。
お祭りってやってる時の高揚感は結構なものなのだけど、
終わった後の物悲しさというか反動も大きい笑
英国大学院への出願準備もほぼ完了し、残すは卒論。
安心すると共に中だるみしています。
そんなこんなで考え事をする時間も出てきて、
若干21年の人生を振り返っています。
その中で人生の転換に寄与したというか、影響を与えてくれた・印象に残った言葉というものを振り返ってみました。
今回は1つだけ。(一言一句違えずに覚えてはいませんが)
「他人が見て(一般的に)、幸せだとか良いように見えることも、その当事者にしたら必ずしもそうではない」
これは高1か高2くらいに言われてハッとした言葉です。
その人の家は過保護系で大事にされて育ったという感じで、対して私の家は自由放任主義というかlaissez-faire系で...笑
で、その人はそれに悩んでいたのだったと思うのだが、それに私が「大事にされて育つのって幸せじゃん」的に一方的な物言いをしてしまい(多分ちょっと羨ましかった)、
こういう内容の言葉を言われたのね。
この時って凄くトゲトゲしていた時期で自分主体で自分の意見が絶対的だと思っていたので(今でもまだその節はあるが笑)、なんというか凄く衝撃を受けたんだよね。
そういう見方を高1くらいで出来るって「大人だな人間出来てるなあ」と深く関心したものです。
それ以来、そういう事があると一義的な物の見方に気を付けようと思えるようになった。
(今でもちゃんと出来やしないのだけど)
まさに「言うは易く行うは難し」
自分とは違って、その人はそれが出来ていたものだから尊敬していたっけ懐かしい。
外語の人に言われることには、ワタクシこれでも大分丸くなりました笑
多分大学1年の秋ごろから徐々に変わったかな。刺が抜かれたというか腑抜けたというか。
ちょっと話ズレるけど、
刺ってエゴだと思うんだよね。
多かれ少なかれ誰でも持っているもので。
エゴは成長には欠かせないものだと未だに信じてるけど、
行き過ぎると人を無闇に傷つけたりもして厄介です。
エゴイスト同士で居るぶんには大丈夫なのだけど、そうではない温和な人には害。
高校3年間一緒に居た人は同タイプで、そのやり方で問題なかったもんだから、
大学入ったぐらいの時の付き合い方は本当に子供で自分本位で色んな人に迷惑をかけた(今もかな笑)。
優しくするのって難しいですな。
ヤマアラシのジレンマ。
今の自分の生き方を変えるつもりはないし、変えられないだろうから有りの儘生きていくけれども、
来世があるとしたら、ガツガツしない柔和で争わない生き方をしたいものです笑
最後にエゴに関しての名言。
井上雄彦作品「リアル」の中で、ナガノミツルはこう言いました。
戦う者ならまずは「俺こそが一番だ」という巨大なエゴありきだ
敗北や挫折や様々な経験でいずれそれは削られて形を整えていくだろう
それが成熟ということ
逆はない
成熟してからエゴは身につかない
戸川清春、お前はまだエゴイストでいい
エゴを早くに畳んでしまった者に勝敗を決する最後のプレイは託せない
なぜだろう・・・
日本はそんな奴ばかりなんだMATE (参照:リアル4巻)
これに対しては全面的に賛成です笑
では。
次は重くないテーマにしようそうしよう。