第二回

20・21日は地元のお祭りでした。

お祭りってやってる時の高揚感は結構なものなのだけど、

終わった後の物悲しさというか反動も大きい笑

 

英国大学院への出願準備もほぼ完了し、残すは卒論。

安心すると共に中だるみしています。

 

そんなこんなで考え事をする時間も出てきて、

若干21年の人生を振り返っています。

 

その中で人生の転換に寄与したというか、影響を与えてくれた・印象に残った言葉というものを振り返ってみました。

 

今回は1つだけ。(一言一句違えずに覚えてはいませんが)

 

「他人が見て(一般的に)、幸せだとか良いように見えることも、その当事者にしたら必ずしもそうではない」

これは高1か高2くらいに言われてハッとした言葉です。

その人の家は過保護系で大事にされて育ったという感じで、対して私の家は自由放任主義というかlaissez-faire系で...笑

で、その人はそれに悩んでいたのだったと思うのだが、それに私が「大事にされて育つのって幸せじゃん」的に一方的な物言いをしてしまい(多分ちょっと羨ましかった)、

こういう内容の言葉を言われたのね。

この時って凄くトゲトゲしていた時期で自分主体で自分の意見が絶対的だと思っていたので(今でもまだその節はあるが笑)、なんというか凄く衝撃を受けたんだよね。

そういう見方を高1くらいで出来るって「大人だな人間出来てるなあ」と深く関心したものです。

それ以来、そういう事があると一義的な物の見方に気を付けようと思えるようになった。

(今でもちゃんと出来やしないのだけど)

まさに「言うは易く行うは難し」

自分とは違って、その人はそれが出来ていたものだから尊敬していたっけ懐かしい。

 

外語の人に言われることには、ワタクシこれでも大分丸くなりました笑

多分大学1年の秋ごろから徐々に変わったかな。刺が抜かれたというか腑抜けたというか。

 

ちょっと話ズレるけど、

刺ってエゴだと思うんだよね。

多かれ少なかれ誰でも持っているもので。

エゴは成長には欠かせないものだと未だに信じてるけど、

行き過ぎると人を無闇に傷つけたりもして厄介です。

 

エゴイスト同士で居るぶんには大丈夫なのだけど、そうではない温和な人には害。

高校3年間一緒に居た人は同タイプで、そのやり方で問題なかったもんだから、

大学入ったぐらいの時の付き合い方は本当に子供で自分本位で色んな人に迷惑をかけた(今もかな笑)。

 

優しくするのって難しいですな。

 

ヤマアラシのジレンマ。

 

今の自分の生き方を変えるつもりはないし、変えられないだろうから有りの儘生きていくけれども、

来世があるとしたら、ガツガツしない柔和で争わない生き方をしたいものです笑

 

最後にエゴに関しての名言。

井上雄彦作品「リアル」の中で、ナガノミツルはこう言いました。

 

 戦う者ならまずは「俺こそが一番だ」という巨大なエゴありきだ

 敗北や挫折や様々な経験でいずれそれは削られて形を整えていくだろう

 それが成熟ということ

 

 逆はない

 成熟してからエゴは身につかない

 

 戸川清春、お前はまだエゴイストでいい

 エゴを早くに畳んでしまった者に勝敗を決する最後のプレイは託せない

 

 なぜだろう・・・

 日本はそんな奴ばかりなんだMATE (参照:リアル4巻)

 

これに対しては全面的に賛成です笑

では。

次は重くないテーマにしようそうしよう。